ボーモント著『Busoni, the Composer』より「序文」など
(注)これは、Antony Beaumont. Busoni, the Composer(London: Faber, 1985).の序文を、2001年度提出の東京藝術大学音楽学部楽理科卒業論文の付録とするために、試訳したものの一部分です。
エドワード・デントがブゾーニの素晴らしい伝記を1933年に出版した時、彼はこの作曲家の作品についての詳細を何も書こうとしなかった。作品を「いやしくも適切に扱うならば、・・・広範な音楽的実例を伴い、専門的な様式で書かれた第2巻目を必要としただろう」と説明して。私は最初、本書がまさにその役割を果たすと思い描いた――そして概ね、その通りである。1970年に私は、ベルリン、ケンブリッジ、ワシントン、ヴィンタートゥーア、チューリッヒなどに存在する、数え切れない手稿、新聞や雑誌の切り抜き、未出版の資料を調べ、全体の形式と規模を計画して、仕事に取りかかった。
ブゾーニの文学的関心は私にとって、特別重要であった。彼の手紙や日記で言及されている本、あるいは台本の原典資料をいくつか参照することによって、文学の世界が作曲家としての彼の作品においていかに支配的な役割を果たしているか、ということが次第に分かって来た。
つまり彼の作品の多くが、器楽作品でさえ、彼の読んだものに直接触発されていることが発見された。当然このことは、新しい光を音楽の上にしばしば投げかけている。ここで私は、自分がデントとは別の方法を取り、スコアの専門的な側面を考察することに加えて、スコアを文学的・文献学的角度から吟味していることに気づいた。このような分析は時として主観的なことがあり、デントは自作におけるどの言明も「明確な証拠と関係づけられる」と主張出来たのだが、私は必ずしもそう主張するつもりはない。しかし、専門的なデータが提供し得るよりも完全な、作曲家としてのブゾーニの肖像は「明らかな証拠」からのみ立ち現われる。
ブゾーニが作曲家としては、まだ良く知られていないので、彼の成熟した作品に対して基本的な導入を準備することが、不可欠であると思われた。本書はそれゆえ、音楽構造の詳しい分析よりもむしろ、音楽構造の概略、あるいは方向づけを提供する。しかし、決定的と見なされるようなものではない。本書には、膨大な量の事実情報が付加されている。つまり、本書で論じられた作品の楽譜、及び各作品の(およその)演奏時間に加えて、知られている限りの初演の詳細と手稿の所在が提供されている。ブゾーニの作品の完全な目録も含まれている。言い換えれば、カタログ化された314作品のうち、私は58作品だけを論じた。ブゾーニを良く理解するようになった一般の人々が、いつの日か、他の作品についての巻を要求するということが、私のたわいもない望みである
統一性を保つために、他の版が既に存在する場合でさえ、私は大部分の翻訳をドイツ語、フランス語、イタリア語から自分で行なった。他人による翻訳は、それらが出てくるたびに、脚注で知らせてある。
(中略)
年表
1866 4月1日にエンポーリで生まれる。
1873 作曲を始める。ピアニストとして初めて公開演奏する。
1875 ヴィーンへ移転し、音楽院に入学する。
1877 リストの演奏を聴き、彼に紹介される。
1878 グラーツへ移転し、その後クラーゲンフルトヘ移転する。
1879 ヴィルヘルム・マイヤー=レミーのもとで作曲を学ぶ。
1881 グラーツでの勉強を修了する。作曲とピアノ演奏のディプロマをボローニャのアカデミ ア・フィラルモニカから授与される。
1883 《村の土曜日》をボローニャで初演する。ヴィーンへ戻る。
1885 ライプツィッヒとベルリンを初めて訪れる。
1886 オペラ《ジグーネ》に取り組み始める。ライプツィッヒに居を構える。絶えずコンサート・ピアニストとしての
活動を広げる。
1888 ヘルシンキ音楽院でピアノ教師の職を得る。
1890 ケルダ・ショーストランドとモスクワで結婚する。作曲でルビンシュタイン賞を獲得
し、モスクワ音楽院で教師の職を得る。
1891 ボストンへ移転し、ニューイングランド音楽院で教える。
1892 第一子ベンベヌートが誕生する。教職を辞め、ニューヨークへ移転する。
1894 ヨーロッパへ戻り、ベルリンに居を構える。ヴィルティオーゾ・ピアニストとして成功することに専念する。
1900 第二子ラファエロが誕生する。ヴァイマールでマスター・クラスを行なう。(翌年の夏
も行なわれた。)2番目の《ヴァイオリン・ソナタ(彼の「作品1」)》を完成させる。
1902 現代の作曲家たちに捧げられた、ベルリンにおける最初のコンサート・シリーズを指揮する。《ピアノ協奏
曲》に取り組み始める。
1904 最初のアメリカ演奏旅行を行なう。《ピアノ協奏曲》を完成させる。
1906 『音芸術の新しい美学構想』を完成させる。ヴィーンでピアノのマスター・クラスを引
き受ける。《花嫁選び》を作曲し始める。
1907 ピアノのための《エレジー集》を作曲する。新しい対位法への関心が増しつつある。
1909 両親が死去する。《悲歌的子守歌》を作曲する。
1910 一層大規模なアメリカ演奏旅行を行なう。《対位法的幻想曲》を作曲する。バーゼルでのマスター・コー
スを引き受け、そこで彼は《ドクトル・ファウスト》の台本の前半を書く。
1912 《花嫁選び》が初演される。《ソナティナ第2番》を作曲する。
1913 ボローニャの音楽院の校長に任命される。
1914 ベルリンへ戻る。自作による4つの演奏会を指揮する。《アルレッキーノ》の台本を
書き、クリスマスに《ドクトル・ファウスト》のテキストを完成させる。
1915 ニューヨークに居を構えるが、結局はヨーロッパへ戻り、チューリッヒに隠れ家を見つける。
1916 《アルレッキーノ》を完成させる。《ドクトル・ファウスト》の音楽に取り組み始める。
1917 オペラ《トゥーランドット》及び《アルレッキーノ》が初演される。
1919 チューリッヒ大学の名誉博士に選ばれる。非常に長いイギリス訪問によって、スイスの隠れ家での生活
を終える。
1920 3つの回顧的演奏会を指揮する。音楽雑誌『アンブルッフ』でブゾーニの特集号が組まれる。プロイセン
芸術アカデミー助成のもとで作曲のクラスを開く。重病の最初の徴候が現われる。
1922 ピアニストとしての最後の演奏会を行なう。
1923 ヴァイマール及びパリへ旅行する。病気がさらに進む。
1924 べルリンで6月23日に死去する。
1925 《ドクトル・ファウスト》が初演される。
芸術家たちがブゾーニに捧げた言葉
彼の音楽を知らなくても、僕は彼の音楽の価値を信じる。――シュテファン・ツヴァイク
(リストとブゾーニは)両者とも並外れた魔力的な力をもって、常に或る秘密を探し求めていたのだが、その秘密は決して明らかにされなかったか、あるいはほんの僅かな瞬間の空間のために、彼らの目の前できらめきのように存在する場合にのみ、経験されるものであった。――シットウェル
ブゾーニは疑いのない作曲の才能を持ち、まじめな性癖を持っている・・・が、私は次のことを残念に思わざるを得なかった。[彼は]あらゆる点で自分の本性に暴力を加え、どんな犠牲を払ってでもドイツ人になりたかったようだ。――ピョートル・チャイコフスキー
私個人として知っているのは、私の不完全な思いつきを具体化してくれたこと、私の想像力を刺激してくれたこと、そして思うに、私の将来の発展を決定してくれたことである。――エドガー・ヴァレーズ
もし誰かがブゾーニを音楽家としてだけ知っているなら、その人は彼を知ったことにはならない。(そして誰がブゾーニを音楽家として知っているだろうか?)――アルフレート・アインシュタイン
ブゾーニは、新しい音楽の予言者と呼ばれている。しかし、新しい音楽の良心と呼ばれる方が、より適切であろう。――ヴィリー・シュー
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/7505472
この記事へのトラックバック一覧です: ボーモント著『Busoni, the Composer』より「序文」など:
» ブゾーニとラバンに関する資料集 from No Music No Inspiration
という新たなブログが始まっています。 文献の翻訳などの貴重な研究資料を公開してく... 続きを読む
受信: 2005年12月15日 午前 12時06分
» ブゾーニとラバンに関する資料集 from 拍手は指揮者が手を下ろしてから
ブゾーニのファン必見,こんなブログができました。 ブゾーニとラバンに関する資料集... 続きを読む
受信: 2005年12月17日 午前 12時40分



コメント
拝見致しました。ドイツ語を勉強されて、自ら翻訳に取り組まれているようで、とても情熱的だと思いました。僕は音楽がよく分からないので、彼らの写真(肖像画)を載せてもらえると、なおイメージがわくのでいいかなと感じました。あと、○研ではお世話になりました。今後もブログの作成頑張ってください。
名前: Y.H | 2005年12月 9日 午後 09時40分
Y.Hさま、お久しぶりです。その節はこちらこそ、お世話になりました。コメントありがとうございます。ブゾーニの一番ハンサムだと思われる写真を掲載すべく、東京ドイツ文化センターの図書館にお願いし、本の著者に許可を取ってもらっているところです。さっそくラバンについても、写真を掲載できるように手配します。彼らは、とても格好が良く、女性にも非常にもてた魅力的な人物です。彼らが描いた絵なども後日掲載しますので、お楽しみに。
名前: 山田明子 | 2005年12月10日 午前 02時20分
こんにちは。ブログ開設おめでとうごさいます! すごい情報量ですね。知的な見かけ、なかなかgoodです。これからもますますこのブログが発展していきますように。
名前: katsurabbit | 2005年12月10日 午後 05時59分
katsurabbitさま、暖かいコメントを頂き、ありがとうございます。ちょっと、文字が多すぎましたね。これからは、彼らの写真や彼らが描いたスケッチなどを掲載する予定です。この二人の天才が、なぜか数学が出来そうで出来ないところなどを含め、「彼らこそ20世紀のレオナルド・ダヴィンチである」と言っても過言ではないことを何とか証明して行きたいと思っています。
名前: 山田明子 | 2005年12月10日 午後 07時15分