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2011年10月23日 (日)

ヴァルター・ギーゼラー 『20世紀の作曲』のブゾーニ記事

2008年10月10日

Ben_nichlson_1945

上の絵画はベン・ニコルソン Ben Nichoson(イギリス・1894~1982)による1945年の作品であり、ギーゼラー著に掲載されているものではありません。私の個人的趣味です。

Walter Gieseler: Komposition im 20. Jahrhundert. Details-Zusamenhänge
©1975 by Moeck Verlag+Musikinstrumentenwerk, D3100 Celle

20世紀の作曲――現代音楽の理論的展望 佐野光司訳 音楽之友社 1988年

(39ページ)
フェルッチョ・ブゾーニは、1オクターヴをさらに細かく分割する可能性に注目した最初の人というわけではないが、その著書『音楽芸術の新しい美学の構想』(1907年)で、全音の3分割、4分割、6分割を提案して多大な影響を与えた。彼自身は、アメリカ人タデウス・ケーヒルが新たに作製した装置(1906年)から刺激されたのだが、その装置は、電気的手段により、思いのままの振動数を、すなわちどんな小さな分割による高音をも生み出すことを可能としたものであった。ケーヒルの場合には、おそらく純粋に技術的な興味が問題となっていたのに対し、ブゾーニの場合には純粋に作曲上の関心が中心にあった。

(41ページ)
作曲の上で、微分音程の音階が微分音システムを形成するほどになるかどうかは、いまのところ現実にはまだ見きわめられない。新しい様々な微小音程の素材の山は、相互関係を有する1つのシステムをまだ保証してはいないのだ。これに対して――ブゾーニがケーヒルの考案した装置に熱中したことは、後に多大な意義をもつことになるのだが――電子音楽は、微分音の実験の実際的な受け継ぎ手と言える。というのは、電子音楽にあっては、微小音程は完璧なものとされるし、また、等しい音程の音楽でも多様な音程の音楽でも、正確に表現され、関連づけがなされ得るからである。

(129ページ)
「音楽の内なる形式」とは、ある構造を、聴きつつある体験である。もちろん、聴きながらそのようなものとして把握できないような構造(たとえばセリエルな構造)もある。それらはそれゆえ、ここで言う意味における形式とはなり得ない。なぜなら感覚的に直観されるもののみが形式にもなり得るからだ。しかし知覚は常に、ある知覚する個人と結びついているので、音楽形式の把握は(形式一般の把握と同様に)、個人的にのみ実現され得る。したがってその把握は、個人的に常に変更され、更新され得よう。したがって、ある人がセリエルな音楽を聴いて形式を発見することは、個人的には極端な例として考え得るであろう。しかしそれは、現在の段階では、その音楽のセリエルな構造が把握され聴取されたのではなく、その中の別のアスペクト、つまりその構造自体でおそらく看過(かんか)されていたようなアスペクトが把握され聴取されたのだ、ということの方が受け入れられやすい。

(130ページ)
美的なるものの定義、それゆえにまた形式の定義は(ヘラクレイトスによれば)「内に異質なものを含んだ一(いち)なるもの」である。これによれば統一と対立は調和せねばならないことになる。絶えまなく更新され、変化しつつ、純粋な時間に従う音楽は、このような原理を満足させはしない。なぜなら、対立は把握可能な音楽的「形態」に接してのみ、つまり不変項に接してのみ経験できるものであり、また統一性は同一性と類似性に接してのみ経験されるからである。今日の音楽における形式の危機が(アドルノの言うように)再現に対する倦怠感の中に見られるとすると、この危機感は安易に放置できない。むしろ原理的な性格をもっていることがわかろう。

(131ページ)
形式観念、形式原理には時代性がついてまわる。その意義は増えたり減ったりするのだ。ソナタ形式の後には、拘束力の強い形式はなにも育たなかった。1900年頃には、調性とともに受け継がれてきた形式もその効力を失ったのである。

ブゾーニは嘆いている。人々は作曲家にオリジナリティを期待するものの、同時に生き残った形式図にも忍従するように強いるのだと。このような嘆きは、新古典主義の時代に、たとえばストラヴィンスキーが古い形式に従ったことにまさにその使い古された様態を示し、目をパチクリさせるようなアイロニーと化している。

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